なぜ私たちはデータを正しく読むことができないのか―誤解を生みだす「10の本能」
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注目のコメント
「正しいものの見方」が大事なのはわかるのですが、なにを正しいと思うかは主観でありセンスのようなものだと思います。
数字はファクトだ、という方もいらっしゃいますが、会計士のような仕事をしていると、数字こそ主観の賜物だと感じることも少なくありません。ファクトフルネスの広告ですが、これは誰がなんと言おうと良書だと思うし、筆者の煽り方などに不快感を感じる人は居るだろうけど意義のある指摘が詰まってる。
こちらは著者の有名なTED
https://www.ted.com/talks/hans_rosling_and_the_magic_washing_machine/transcript?language=ja
その上で、個人的には人間にバイアスがある事自体は仕方がなく、「ファスト&スロー」で言うところの「速い脳」は、生活に欠かせない以上トレードオフでしょう。
それも含めて、人の遺伝子や脳は作られている。
ただし、「古い知識」をアップデートする必要性を認識せず、またそれを社会が容認する風潮は問題。日本に限らず、相手を不快にさせる行動(間違いを指摘する)を皆が避けようとするのは仕方ないけど、文化・教育としてはそれを是として啓発する事は必要なんじゃないかな。
特に、教育や医療、研究などに関わる人はその重要性を痛感されていると思うし、認識がないと大問題だと思う。
あと、NPでも「通報」とか「dis」は不要だと思うけど、「事実に反している」ボタンは作って欲しい。誰でも間違うことはあるし、僕も今まで当然あったはず。
善悪や感情的批判とは区別した上で情報の質を皆で高め合う、これは集合知を活用したキュレーションメディアに必要な視点では。僕自身もどんどん指摘して欲しい。陳腐な物言いですが、理想と現実の違いをどう肝に落としているかどうかじゃないですかね。
人それぞれに思う理想というものがあって、現実とはそれなりに乖離があって、でも人間という身体性からは逃れられないから、人間は理想と現実を何らかの虚構で接続して自我を保つ訳です。その虚構が現実と理想のどちらに偏重するかによってフェイクニュースだったりカルトだったりというものにシンパシーを感じるようになるか、という事だと思ってます。
理想と現実の乖離によるアイデンティティ崩壊を身体性という不自由な環境を抱える中で防ぐには、理想を身体性から引き剥がす事が必要なのじゃないかと僕は最近感じています。