田原総一朗「寂聴さんは最後まで本当にエネルギッシュだった」 Photo by Teppei Hori

2021年11月9日に心不全により99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さん。作家として、恋愛や歴史、女性の新しい生き方などを題材とした400以上の作品を発表し、僧侶としても、法話を通じて多くの人たちへ生き方について説いてきた。数々の病気と闘いながら、平和を訴える社会活動にも精力的に参加。大正から令和まで四つの時代を生き抜いた。親交のあったジャーナリスト・田原総一朗氏が、寂聴さんの人物像について語った。(聞き手/ダイヤモンド社編集委員 長谷川幸光)

「なぜ出家したのですか?」と聞いてみると
寂聴さんから思わぬ返答があった

――瀬戸内寂聴さんが11月9日、亡くなりました。田原さんはご面識がありましたね。

田原総一朗田原総一朗(たはら・そういちろう)
1934年、滋賀県生まれ。1960年に早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。1964年、東京12チャンネル(現・テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」等でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ「城戸又一賞」受賞。早稲田大学特命教授を歴任(2017年3月まで)、現在は「大隈塾」塾頭を務める。「朝まで生テレビ!」「激論!クロスファイア」の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。近著に『堂々と老いる』(毎日新聞出版)、『新L型経済 コロナ後の日本を立て直す』(冨山和彦氏との共著、KADOKAWA)など。 Photo by Teppei Hori

 あんなに自由奔放に生きた人はいない。「美は乱調にあり」とはまさに寂聴さんご自身のことではないだろうか。

 寂聴さんは51歳で出家したが、その前から型破りな人だった。多くの人と恋愛をして、不倫をして、そのことを堂々と公開する。普通は世間やマスコミから批判されて、表舞台から姿を消すことが多いが、世間もマスコミも彼女のひたむきな性格と自由な生き様を評価していた。

――初めてお会いしたのはいつだったのでしょうか。

 寂聴さんが出家した数年後に、寂聴さんが住職を務めるお寺で取材した。当時は京都の「寂庵」(※瀬戸内寂聴氏が開いた寺院)ではなく、岩手県のお寺だったと思う。出家したことは当時、だいぶ話題になっていたので、「なぜ出家したのか?」と聞いてみた。

 すると、それまであまりにも奔放な性生活を送ってきていたので、それを断とうと出家したんだと。出家したことで(奔放な性生活は)やめられたのですか?と聞くと、それがやめられないと言う(笑)。そのたびに阿弥陀如来に謝罪しているんだと、お坊さんなのに平気でこういうことを言うんだよね。

 寂聴さんは何百冊と本を書いた。書くものはとても色っぽく、ポルノ小説じゃないかと批判された時期もあった。でも本当におもしろくて僕もかなりの数の本を読んだ。こんなに素晴らしい小説をたくさん書いているのになぜ直木賞が取れないのだろうかと、失礼を承知で寂聴さんに聞いてみた。