日本の対コロナ構想力の貧困は「公」なきメディア・文学に原因がある
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“決断できない日本”がいかに特殊な環境(タテ割りの官僚機構とそれに対応した記者クラブ制度の年功序列・終身雇用のサラリーマン・メディア)に置かれているか、考察した。アフターコロナのヴィジョンを創るのは独自で多様なメディアであり、「クリエイティブな人びとのクリエイティブな勇気が危機を乗り越える力になる」のだ。「公」という概念を軸に近現代史を俯瞰し独自の視点で再構築を試み、ソリューション・ジャーナリズムの可能性について触れています。
https://www.amazon.co.jp/dp/4910063099
注目のコメント
官僚ではなく、クリエイターが未来をつくる。そう考えるドイツと日本の差がコロナ対応で浮き彫りになった、という猪瀬さんの指摘は重たいです。この点、新刊『公』でも大きく取り上げています。
ドイツの文化大臣の言う「独自で多様な文化及びメディア」というのと、「『公』のあるメディア」というのが、猪瀬さんが同じだと言っていることをよく考えるべきなのかなと思いました。
普通の人が見たら、これらは全く対義語のように見えてしまうのではないでしょうか?
しかし、そうではないということです。
私も、何か伝わる気はするのですが、何と説明出来るものなのか分かりません。
もしかしたらそれは、イギリスの不文憲法のように、言語化されるべきものでは無いのかもしれません。
難しいですが、面白いですね。
そういったものを、猪瀬さんが記事内で紹介されている外国の小説を通じて学んだら良いのかも。
正直、あまり小説を手に取る方では無いのですが、興味が出てきました。