羽生善治王位が人工知能や棋士の決断について語ったこと
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コンピュータによって提示される可能性を受け入れて、さらに成長する人、みたいな世界がやってくる。それは、この手は筋悪だなぁ、みたいな、美意識ともいえる人間の感性すらも変えてくるかもしれない。
注目のコメント
美意識をAIは持っていない。さすが羽生さん、AIに関する最も本質的なことを鋭く指摘しています。
AIと従来のコンピュータプログラムとの違いは何か。それは、従来のプログラムはルールベースなのに対し、AIはアウトカムベースということです。ルールベースとは、If-Then-Elseのような構文を使い、条件に対する反応というルールを記述します。これを正確に行うのがプログラムでした。
これに対し、AIはアウトカムベースで、何を目的(アウトカム)にするかを入力し、どうやって目的を実現するかは、データからマシンが自律的に見出すという仕組みです。このために柔軟な判断ができます。
アウトカムベースでの判断を確信をもって行うには、多数の繰り返しの実績が必要です。しかし、人生は、そんなに繰り返しはありません。この時に、人が頼っているのが美です。数学者が新たな定理を発見し、科学者が複雑な現象の中に潜むシンプルな法則性を見出した時の歓びを美しいと呼びます。絵画も音楽も自然の風景も美しいと表現します。複雑な問題にシンプルで一貫性のある答が見つかったとき我々は美しいと表現します。
この能力をAIは持っていません。
しかし今後、知能を基本から理解するには、美の理解が不可欠です。この問題は、我々に残された最大の問題の一つです。
「これは、ただ強くなる、進歩するというだけの話ではなく、美意識の問題とも非常に重なってきます。将棋は盤面のいい形、美しい形、あるいは愚形とか、形の良しあしをきめ細かく見極める力によって強くなります。しかしコンピューターは、そういう美意識とは合わない、違和感のある形の手を提示します。そういうものに出会った時、アレルギーを感じて取り入れない、というのも考え方です」クリエイターと仕事をして思うのは、市場の半歩先を行く難しさ。
美的感覚に優れたクリエイターは、容易にに1歩も2歩も先を行く。
それは彼らにとって美しいのだけど、消費者には「まだ」美しくない。
売れる商品は先取りし過ぎない「半歩先」を行ってるんですよね。
AIが時に美しくない手を打つとしても、もし本当に強い手であれば、それは過去の棋譜では表現されていなかったが故に、人には「まだ」美しく見えてないだけの可能性もありますね。
それにしても羽生さんの次の一手の決め方である「直感、読み、大局観」は、ビジネスにうける次の一手の決め方と同じように感じました。
やっぱり無意識な領域の思考が何をするにも共通して大切ですね。確かに先のことを言いすぎると美しく見えないってのはありますね。わたしはAIの作り出す美しく無さそうな手も美しく思えてしまいます