つまり本件合意は「条約法条約」の「外」にある。そして「外」にある本件合意の解釈の基礎とは国際慣習法における法源(方言論において「法の存在を確認する素材」)である「pacta sunt servavda(e)」の原則である。その意味で「不可逆とまで合意した国家間合意は守られなければならない」とする安東プロの発言は正当である。
あくまでも本件合意は「国際慣習法」の原則によって解釈されるべきものであって「条約法条約」を援用して解釈するべきではない。慣習法を条約化したとはいえ条約となった以上は「条約法条約」とて「条約」のひとつであるのだから「条約法条約」の「pacta sunt servavda(e)」の原則はこの「条約法条約」においてのみ妥当する。これをその「外」にまで援用するのはご都合主義である。
同盟国として協力せず、米国に見捨てられてしまったら、米国は、韓国の犠牲を考慮せずに米国の都合で北朝鮮に対して軍事力を行使するかもしれません。
文大統領は、米国に慎重になって欲しければ、国際社会とともに、北朝鮮に圧力をかけなければならないというジレンマに陥っています。
その上、「慰安婦合意」で日本に譲歩してしまったら、文在寅大統領が選挙期間中に掲げた公約は、大統領就任直後に、全て嘘だったということになりかねません。
日韓合意は、日本と韓国の二国間の問題です。ここでは、文大統領は対日強硬に出たいところでしょう。
しかし、文大統領が電話会談で安倍首相に対して、合意の見直しまで踏み込めなかったのは、北朝鮮問題等で日本と協力する必要があるからです。
もし、現在の日本に経済力がなく、米国への影響力もなかったとしたら、文大統領は、安倍首相に配慮を見せる必要はなかったかもしれません。
経済力は、パワーの源泉です。
国は、自国にとって、安全で繁栄に有利な地域及び国際社会の環境を創り出すために、パワーが必要なのです。
パワーには軍事力が含まれますが、軍事力だけではありません。
日本の軍事的なパワーは限定的ですが、それでも経済力をうまく使えば、パワーになり得るのです。
日本の安全保障にとって最も重要なことは、日本が、そして日本人が、豊かであり続けることだと思います。
一方の韓国は辛い状況です。文大統領は、自ら、日本や米国と対等に渡り合うことが出来ないと考えれば、より中国に接近するでしょう。
しかし、中韓電話首脳会談で、中国は韓国に対して、「THAAD問題を適切に処理するよう」求めました。
文大統領は、国際社会と国内社会、日米と中国、という二つの板挟み状態です。
これに関しては「???」です。
韓国(もしくは韓国国民)は、旧日本軍の行為を避難しているのでしょう。
旧日本軍の行為に関して日本が国として対応するのは当然のことです。
「民間で起きた問題」というのは韓国の一部民間人の感情問題ということ。
それに関しては、先の合意で韓国政府に「努力義務」があったはずです。
強制するわけには行きませんが、解決したと啓発する責任は「努力義務」から導くことができるはず。
突き放すのは義務の履行を懈怠するようなものでしょう。
再交渉などもっての外。
そこまで非常識にはなれないでしょう。
本文から引用します。
「「国民の大多数が情緒的に慰安婦合意を受け入れていないのが現実」として、「民間で起きた問題を政府が解決することには限界があり、時間が必要だ」と指摘。「国民の情緒と現実を認めながら、双方が共に努力することを望む」」
お互い民主主義国ですから世論や国民感情への配慮は大切。テクストをベタに読み取るのは良いことのようには思えません。
「国家間の合意」で思い出しましたが、拉致被害者が一時帰国したときに相手国に返さないという決断をした国があったのを思い出しました。
同時に、コメント欄で嫌韓感情を爆発させてる日本人のみなさん、落ち着きましょう。反日感情をぶちまける韓国人が逆に韓国の品格を貶めているように、嫌韓感情をぶちまけるみなさんは日本の品格を貶めています。
腹の虫が収まらないかたには、ミッシェル・オバマのこの言葉を。When they go low, we go high.
あるいは、哲学者トーマス・カーライルのこの言葉を。A great man shows his greatness by the way he treats little men.
国民を主語にするなら、日本国民の多くも慰安婦合意を受け入れないという韓国を受け入れないと思いますよ。
【追記】わたしはコメントにはコメントしない主義であるが「条約」についての混乱が見られるので一般論として記す。
「条約法条約」における「条約」とはまさに「条約法条約」に定める全権授権と国内受容の手続に則って締結批准された「条約」に適用されるものであってそれ以外の国家間合意については従前の「国際慣習法」によるべきものであることが明記されている。
つまり本件合意は「条約法条約」の「外」にある。そして「外」にある本件合意の解釈の基礎とは国際慣習法における法源(方言論において「法の存在を確認する素材」)である「pacta sunt servavda(e)」の原則である。その意味で「不可逆とまで合意した国家間合意は守られなければならない」とする安東プロの発言は正当である。
「条約法条約」の「外」にあるものを「条約法条約」を援用して無効と主張するのは本件合意を無効化したい韓国系法学者とやらの昨今の主張の決定的な矛盾であり法学者らしからぬ間違いでもある。
あくまでも本件合意は「国際慣習法」の原則によって解釈されるべきものであって「条約法条約」を援用して解釈するべきではない。慣習法を条約化したとはいえ条約となった以上は「条約法条約」とて「条約」のひとつであるのだから「条約法条約」の「pacta sunt servavda(e)」の原則はこの「条約法条約」においてのみ妥当する。これをその「外」にまで援用するのはご都合主義である。