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今年、北方領土問題が具体化するかどうか、安倍首相の手腕が期待される。
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日ソ国交回復につながった1956年の日ソ共同宣言には、河野外相の祖父の河野一郎農相(当時)も随行団に加わり、モスクワでの署名に立ち会った。安倍総理の祖父の岸信介は当時自民党幹事長。因縁は巡るものなのか。
時系列(1945年2月~1946年2月)をまとめてみますね。

▼1945年
2月4~11日=ヤルタ会談
4月5日=ソ連が「日ソ中立条約」(1941年4月25日批准、1946年4月25日失効)の延長をしないことを通告
8月8日=8月9日より日本とソ連は戦争状態になることを通告して宣戦布告
8月9日=ソ連極東軍による総攻撃(ただし「日ソ中立条約」の有効期限内)
8月11日=樺太で日本とソ連が戦闘開始
8月14日=ポツダム宣言受諾
8月15日=終戦の詔
8月18日=ソ連軍が占守島に上陸し、日本守備隊と交戦
8月23日=日ソ両軍現地停戦協定締結
 その後もソ連軍は千島列島各地の日本兵を武装解除しながら、8月31日までに得撫島を占領
8月28日=ソ連軍が択捉島上陸
9月1日=ソ連軍が国後島、色丹島に上陸
9月2日=東京湾上のアメリカ戦艦ミズーリにて降伏文書に調印(ソ連代表も参加)
9月3日=ソ連軍は歯舞群島上陸

▼1946年
2月2日=ソ連が北方四島を自国領に編入

結局、引き金は「ヤルタ会談」だと思うのです。このとき、ドイツ降伏後のソ連の対日参戦、そして北方領土の占領をアメリカとイギリスが認めているわけです。
ソ連がしたことは国際法上違法なのだと思いたいですが、結局北方領土の返還をアメリカとイギリスに認めさせない限り、返還は難しいのではないでしょうか……。

プーチンという政治家、プーチンのために政治をする男です。ロシア経済がおかしくなればなるほど、逆に北方領土の返還は遠のくかもしれませんね。
防衛するコストに対して便益が著しく少ない北方領土は返還してもらわなくても全く問題ない。日本政府は、ロシア人は嘘つきだ、とずっと言っていればよい。