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数学や物理学べば発達障害への偏見の愚が分かる

まなナビ
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    忠北大学 天文宇宙科学科 教授

    大学の教員、研究者や科学者なんて、程度の差こそあれこういった性質を持っていると思う。それを障害って言葉を使うから無用な偏見が生まれてややこしくなるのでは。

    ところで、記事中の太字箇所「アインシュタインは『りんごを見ている人も同じく動いている』と考えようとしました。それが相対性理論です」が間違っています。これはそう最初に考えたのはアインシュタインではなくガリレオです。ガリレオはアインシュタインより何百年も前にこのアイディアを相対性原理という名前をつけて提出しています。アインシュタインはガリレオの相対性原理の上に立って、もし光速度が一定だとしたら物理法則がどう変わるかを考えて特殊相対性理論をうみだしたのです。#物理学#特殊相対性理論


  • エネルギーアナリスト/ポスト石油戦略研究所代表

    科学の記述も発達障害の記述もざっくりすぎてめちゃくちゃだなあ。

    特に許せないのは、発達障害イコール特異能力者であるかの如く書かれていること。「発達障害」は近代社会の教育システムに適合できなかった人を一括りに表現しているだけなので、そんな単純なことではありません。むしろ偏見を助長しているように思います。

    科学界が主観から客観のトレンドなんだから、発達障害に対する主観的な見方から脱却すべきというロジックは特にめちゃめちゃ。

    科学が主観から客観に移ったように見えるのは、フィボナッチがアラビア数字を西洋にもたらした事で大きな桁の統計量を扱えるようになり、天文学や人口統計、保険といった初期の「データサイエンス」が発展し、運命は神が決めているという世界観から個人による自由な意思決定により運命は変えられるという客観的な世界観に移行していったことが背景にあると思います(始めは西欧世界で)。

    相対性原理に関しては早崎先生のご指摘の通りですが、非ユークリッド幾何学は前提の見直しというよりは、自明ではない「原論」の第五公理(公準)の第1〜第4公理からの証明という2000年間の数学者の格闘の歴史から出てきたものです。

    物理、数学の世界で言えば、20世紀初頭頃がそうした合理主義・客観主義の考え方のピークですが、20世紀は自然はそんなに単純ではないと反省しきりだった時代だったと思います。心理学に客観性が導入されたのは20世紀中頃からで、動物行動学が人間を動物として本格的に扱い始めたのはもう少し後になります。

    主観/客観という議論に関しては、今は「主観の時代」だと思います。客観的ファクト情報の強さが溢れる現代では、主観こそが人間存在の拠り所になるからです。

    発展障害に関しては軽々に言えませんが、とりあえず数の多いdyslexia(識字障害)の社会包摂から考えるのがよいかと。


  • トヨタ自動車

    スター・ウォーズの世界のように、多くの種族や身分の人間が雑多に交わる世界になれば、人は自ずと他者に寛容になると思う。偏見は無くならないかもしれないが。
    偏見や不理解はもちろん正すべき。でももっと正すべきは自分(自分たち)と異なる人間への「不寛容」ではないだろうか。


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