スーパー編集者がマンガアプリに抱く“危機感”
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いい話。マネタイズポイントの一つはここだと思います。コミュニティへの入場券。
>comico内で、単行本化した作品が40万部売れたことが好例だ。読者と著者のコミュニケーションによって、単行本化されたことが口コミで広まり、その話題はコミュニティの外にまで広がった。単行本はいわば、コミュニティで居場所を確保するための “入場券”のような役割を果たしていると僕は思う。
注目のコメント
とても考えさせられる。「ユーザーが納得のいく課金のタイミングが「所有」から「満足」へ移り、良いコンテンツを作るためには「我慢」と「ヒイキ」が大切。それを、スマホの世界で、実現する答えはまだ誰も見つけていない。」よって、スマホのコンテンツビジネスはチャンスしかない!
着うたになって、サビが冒頭にくる曲が増えたように、漫画も最初からぱっと興味を引くような作りだったり、エログロが増えるたり、本格的な作品が生まれないのでは、という危機感は分からなくはない。
ただ、ドライに言ってしまえばコンテンツはメディアに合わせて変化するもの。今、「映画会社全盛の時代の映画作りの方が良かった」と言っても不可逆ですし、本当にニーズがあれば誰かが差別化としてやりだすものと思います初めの一文字から最後の一文字まで完全に同意。所有と可処分時間に関しては昨日この連載やNETFLIX記事につけたコメントでもユーザ実感として触れたような。
ネット文化の本質はimpatienceとintoleranceで、それはダイレクトな表現をすれば「この箱(俺機)の中は俺のユニバース、俺が神」という、誰の中にもきっと多かれ少なかれ存在する粗野な欲望に直結しているから。そこでの人間の振る舞いは極言するならまさに鈴木健さんの言う【膜】でリソースを囲い込みながら【核】で影響力を(暴力的に)行使する作業だと感じる。
そんな原始的で粗野な欲望を可能にする箱(コンピュータ)の中でも最もハンディな形態をしているスマホは欲望直結なわけで、そこで求められるコンテンツが刺激を増すのは、その意味では本質からまったくブレてはいない。
だから、良心あり意志あるコンテンツメイカーたちが現存するコンテンツ文化を守ろうとするには、スマホ的スピードはまったく不向きだし、そもそも「まともに(タイム、マネー、マインド全て、提供側が提供側のパラダイムで期待するマナーでは)読まれない」時点でそのプラットフォームにはなり得ない。
だからいまのマンガアプリは、もう(旧定義の)マンガは生まず、既存作品を紙代替で眺める(読む、じゃない)手段になる。でもマンガ雑誌が週刊化する(漫画がマンガへと再定義される)前と後でもそれぞれにエポックメイキングな作品が数多生まれたわけで、結局スマホもそんなエポック、流れるように連続変化するフェイズの一つ。
ただ、そこではまさにかつて文學がブンガクへと変遷していったように、深さとか厚みとか奥行きなんてのはひょっとすると失われ、そういうグッとした滋味はいずれ別の表現形態で新しいクリエイターたちが新しい手法で紡ぐかもしれない(動画分野とか)。comicoがcomicoという表現形態を生んでいるように、ね。
しかし……。あー、この連載のおかげで5日間楽しかったなぁ。私は明日から何を楽しみに朝起きればいいんだ!