パワハラの相談 昨年度6万6000件余 過去最多
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火のついた煙草やら灰皿やらが飛んで来たり、目の前で(上司が机に叩き付けた)算盤玉がバラバラにはじけ飛んだり、なんて今では信じられないような光景が当たり前だった時代からまだ30年は経っていないはず。当然ながら、当時、パワハラの相談なんてありませんでした。そういう行為が問題と認識され、相談できる体制ができてきた、ということではないのかな・・・ 部下の納得を得ながら「叱る」という技術が、仕事を進める上で一段と重要になって来ましたね。
人生で初めての研究が「暴力」についてでした。
同じことをされたり、言われたりしても、
それを身体的暴力・言語的暴力・性的暴力と認識するか否かは、どんな経験をしてきたかによるというもので、
まさにこのパワハラが増えているのは、その認識の違いによるのではないでしょうか。
自分のされていることをパワハラと感じる人が増えていることと、
自分のしていることがパワハラに感じられていると思ってない人が増えていること、
この両方が影響しているのでしょう。
実際にパワハラとして精神的に苦痛を感じていたけれど、表に出なかったものが出るようになったことは、ものすごく良い傾向です。
しかし、受け手が過剰に反応しすぎたり、勘違いによってパワハラを受けたと認識して、冤罪的なパワハラも増えているのではないでしょうか。
パワハラをしている側は、自分が指導されてたことをそのまま、昔はこうやって習ったんだと指導しているだけで、パワハラと認識されることもあるでしょう。
その場合は、指導の仕方を変えることも必要ですが、
一方で指導の受け手に合わせて手取り足取り教えて全く傷つかないようにすることは、成長につながらず後々のその人にとって何でもかんでも暴力と認識しやすくなるというリスクもはらんでいたりします。
指導している方は、自分のしていることが相手にとってパワハラと感じられていないか、相手の成長につながる指導であると相手に認識できるように関わっているかを振り返ること、
指導されている方は、自分のされていることがパワハラと感じた時に、これは指導なのかパワハラなのかをしっかり考えること、そしてパワハラと感じるのであれば、しっかり話し合って対応してもらうこと、
結局はどちらか一方が歩み寄るだけでなく、どちらも歩み寄る姿勢が必要ではないでしょうか。