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プログラム言語を覚えること自体にはあまり意味がないです。言語を使う素地の論理思考と創造力を養う(創造の楽しさを知る)のがメインであって欲しいですね。
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記事によれば「未来の技術者を育成する」ということだが、これを目的とするのであればやめたほうがよいと考えている。小学生から陳腐化しうる知識をつけさせることは意義が少ないと考えているし、そもそもなぜ技術者なのかがわからない。
もちろん我が国においてエンジニア育成に関しては急務であると考えられることに加え、本件に関する文科省の姿勢については全く評価できなかったので今回の動きについて行政としてまず一歩を歩み出したということでは一定の評価をされるべきことではあると思う。
ただ、基礎教育過程においては陳腐化する能力よりもより普遍的な知識を得させ、ロジック立てて考える能力や対話能力などを育成するべきと考えており、小学校をいきなり専門学校化することについては大きく首を傾げざるをえない。そもそも大学でも無意味化している情報教育を小学校であればうまくいくというのは考えにくい。
プログラミング教育はお金のネタとしてはとても美味しいことに加えて、実際社会的な意義もあることから礼賛されがちであるが、公教育に組み込み津々浦々すべての国民に対して施す教育として検討するのであれば、なお一層の考慮が必要ではないか。

追記
目的はどうでも良い、とおっしゃる方がいるが本当にそうだろうか。興味を持たせるレベルなのか実践的な箇所まで踏み込んだことを行うかで大きく異なる上に、予算の割き方やカリキュラムの組み方などに大きく影響するのでは。いくら枕詞といえども現場は混乱する上、次の言葉を紡ぎだそうとも最初の接頭辞に引っ張られることは必然。
教育実験であることは確かなので、まずは試してみるという点では正しいしそこについては評価しているところである一方で、本当に大切なことはなんなのかを置き去りにしてざっくりした「プログラミング教育」に走るのは明らかに安易であるとしか言えない。
ちなみにですが、僕はプログラミング教育に反対しているわけでは決してないことご留意ください。
改革はまだ始まったばかりです。本当の意味で我が国に資する施策となるよう、心から祈っています。
クラウドベースの教育ソフトを、現在、71校で約1万人の生徒さんに使っていただいて実証を進めています。プログラミングは注力する領域の一つですが、力点はプログラマーの育成というよりは、「論理的思考」や「試行錯誤」と私は理解しています。

実証は、セキュリティ、プライバシー、著作権管理など、多岐に亘りますが、来年度中に目処をつけ、再来年からは民間主体で自走するのが目標です。スタディサプリやClassiなど、すぐれた民間サービスが成長しており、連携を進めています。

できるだけオープンな環境を目指しており、EdTech企業の参加をお待ちしています!ちなみに実証では、スクールタクトが一番人気です。
http://schooltakt.com

またNPO法人のeboardに参加いただいていますが、学校だけではなく、公民館、フリースクールなど、クラウドによって、いろんな場で教育環境を提供することは、ますます重要になりますね。
https://www.eboard.jp

<追記>「文科省」についていくつかコメントがありましたが、文科省との共同事業です。重要なのは公の「教育」と民の「学び」の間の壁を低くすることで、総務省の役割はそこにあると思います。
普遍化しようのない技術を小学校教育に取り入れる必要性を感じません。
プログラミング教育を否定しませんが、あくまでも民間主体で行えば良いことで小学校の時間割に食い込ませるのは感心しませんね。
千葉市では来年度から放課後子ども教室を充実させる予定で、その中でプログラミングも入れていこうと考えています。
ラジオの仕組みを勉強したり、工作したように、自分たちの生活の周りにあるものがどのように設計されているのか知ること、将来の仕事の一つとしてイメージできるようにすることは、他の分野の教育と同様に扱われるべきと考えています。

私たちは新しいもの(もう新しくも無いものも含め)を軽視するか、特別視するか、極端に触れやすいですよね。
文化政策も古典に力を入れてアニメや漫画を不当に低く扱うか、逆にアニメなどをクールジャパンとして特段力を入れるか、極端だったりします。表現手法は常に変わり続ける、目的は何かを考え、常に時代に合わせて漸次変化していくよう心がけるようにしています。
総務省が乗り出したのはよい。まだ点なので、これを面にして、文科省の仕事にしなければいけない。だが、最後にあるように「未来の技術者育成につなげる」という認識では広がらない。全てのモノがデジタル化される時代に、よみ・かき・プログラミングとも呼ぶべき全ての人の基礎的な素養と認識することが必要。
プログラミングを学ぶことは、プログラムを書いて飯を食って行かなくとも必要な素養だと思う。プログラムはあくまでもルールに沿って書かれたことだけを忠実に再現されるので、論理的指向能力を伸ばすのに最適だと思う。数学を学ぶ感覚に近い。

大学からプログラミングを学んだが、やっぱり幼き頃からやってる人は他の言語でも取得スピードが早い。英作みたいな。感覚でできる人は早い。

時間的な問題でどこまで学べるかは疑問だが、触りだけでもやって食わず嫌いのアレルギーだけでも取り除けたらいいな。で、好きになった人は民間の力やらドットインストールなどで学べばいい。
プログラミング教育と併せて、新しいことを発明する楽しさを一緒に教えてあげたいね。
それがよりプログラミングを学びたいって意欲を生み出すと思う。
原体験はとても重要。子供の頃の色んなことに触れる機会は大切だと思います。学校教育において、体験できるのはいいですね。そこから興味を持った子供は学ぶ機会を自分で求めていく。学校授業で特殊な専門知識をつけるのは難しいもの。あくまでもきっかけですね。プログラミングにも広がるといいですね(^o^)/
政治家になろうが、官僚になろうが、NPOで働こうが、スポーツマネジメントを業としようが、業務を整理し、普遍化し、共通的な仕様を作り、プログラム化する能力は、必要不可欠だと思う。教育は普遍的な道徳や哲学と、日々変化する能力構築を分けて考える必要がある。次世代のプログラミング教育は大きな一歩となる。
福田峰之てめした。
武雄市でDeNAと組んで小学生向けにプログラミング教育をやって思ったのは、エンジニア育成も大事だが、本当の目的は、国境を超えた言語を身につけて、いろんな人たちとフラットに何かをつくりあげる力だということ。

画一的な組織で決められた手順を要領良くこなすのではなく、多様な組織の中で創造する働き方が主流になっていく。それに合った教育が必要だと思う。