「世の中全て分かっている系」が厄介な理由
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私は「世の中全て分かっている系」です。ごめんなさい。
常見陽平さんについてはVALU買っているんで許してください。
根本的に「一事が万事」だと思っていて、世の中、なんとなく原理原則で動いているんじゃないかと思っています。ですが、Newspicksでは守備範囲のところ以外は突っ込んだこと書きませんし、それ以外のところは軽く流すコメントだったりします。わからないこと、興味ないことに対してはそもそもコメント書かないんですけど。。。
注目のコメント
分からないからといって発言しちゃいけないというのも違う。でも
①自分が分かっていないことが山ほどある
②自分が分かっているつもりでも、実は分かっていないことがいっぱいある
③自分が分かっていても、ほかの人が違う理解をしていることもある
④その場合に、両方の理解が正しいこともある
といったところは、頭に深く刻み込んでおきたい。
社会は人間の営み。自分のことでさえ正しく理解できないのに、ほかの人のことを理解できるなんて思い上がりだし、複数の人の営みなんてもっと複雑。
自戒も込めて…今後も間違えていたら容赦なく指摘ください!1つのコメントを書くのに過去の記事や論文を10本以上レビューすることもザラですが、それでも当然それで全体像が読み切れるわけもなく、いかに何がわかっていないかを理解するのが難しいかと日々痛感します。
それでも、人間のエゴと、資本主義のシステム、科学的な制約(数学、物理学、化学、動物行動学、脳神経科学、ネットワーク科学等)、などをある程度理解していれば、それなりに分かった気になる程の説明能力を持つこともありますが。
この分かってる系にも色々タイプがありますが、ここで言われているような面倒なタイプは、弱さを隠して強く見せようとするコンプレックスから来ているもので、わからないものをわからないと言えないアレです。
私は個人間の話や仕事の話であっても、不必要な(周りの時間を奪うのを避けるなどの場合を除き)「知ったかぶり」の返事を見逃すことができず、ついつい「今何がどう分かったんですか?」と追及して追い込んでしまうこともしばしば、、、。どこの組織に属しても、大抵嫌われます(笑)
記事で触れられている「現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史 」(イースト新書)ですが、評論家の宮崎哲弥氏がラジオで勧めていたのでつい読んでしまいましたが、なんと言うか衝撃でした。筆者等は、内田樹等の著名な批評家たちを痛烈に批判しているのですが、この本自体が同様の批判の誹りをま逃れない内容だったので、、、。「だからダメなんだな」と妙に納得してしまいました。