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教え方を変えることの重要性はとてもよくわかります。学問の知識は、ほぼ手段であって目的ではありません。
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概ね賛成ですね。

九九という、思考を節約して日常生活にも「便利」なものがあると言うことは教えた方がいいし、ある程度のトレーニングは試す価値はあると思いますが、九九を覚えているから他の一般的な能力が高まったりすることはないと思います。単に暗算が出来るというだけで、暗算が超得意でも数学はからきしダメという人はたくさんいます。従って、電卓の併用を認めつつ、九九の利便性やどんな場合に必要かも合わせて教えればよいと思います。

ただし、幾ら電卓やエクセルの時代とは言え、パッと見ただけで検算できるかどうかは出来るに越したことはありませんし、科学の世界は電卓・エクセルなど使うまでもないような統計処理以外のちょっとした計算に満ち溢れているので、やはり出来るに越したことはないですよね。何かを考えたりフェルミ推計するにも、電卓・エクセルがないとなにもできないというのは、AIがないと将棋はさせないと言っているようなもので、やはり最低限のツールはあるに越したことはないし、九九の暗記は科学する人たちにとって負担よりメリットの方がはるかに大きいものです。

しかし、多くの人は科学者になるわけでもないので、九九でつまづいたせいでその先に広がる数学の世界観に触れられなかったり、暗算が障害となって他の分野の重要な概念に触れられる機会を失うことは、勿体無いと思います。私は文系の女子大生に計算課題をやってもらったりしますが、当然ですが電卓やエクセルを使ってもらっています。暗算より教えたいことがありますからね。

あとは、大学入試に電卓を持ち込んでいいかどうかだけ。大学の試験では電卓OKですけど笑。

電卓の性能の違いガー、とか文句言う人が出てくるかも知れませんが、実際には電卓で計算して競争優位になるのは3桁4桁の筆算があたりまえな化学の数値計算くらい(ごく稀に物理、生物、数学でも数値計算が出ることはあるが)で、その場合も当然ですが計算能力を問う問題ではないです。

また、どんなに多機能な電卓を持っていても殆ど差は出ず、むしろ暗算出来る人の方が早いことの方が多いです。

従って、大学入試に電卓持ち込み可として、高いレベルで理系科目で争いたい人だけが、計算トレーニングを積めばいいと思います。

私も九九は最小限必要なところしか覚えてないです。
朝から目から鱗でした。でも仰る通りではないかと思います。記事には電卓の活用について書かれていますが、いまやインターネットでは何でも調べられますし、将来的には人口知能が教えてくれるとも言われれいます。そんな中、九九の暗記では本気で時代に追いつかないのかもしれないと思いました。

「でこぼこの野原での運転術ばかり指導し、ハイウェイの走り方を教えないようなもの」
なるほど。分かりやすい例えですね。でこぼこの野原ばかりでは楽しさを知る前に苦手意識だけが募ります。

「覚え方」ではなく「学び方」。
「何を考えるか」ではなく、「どのように考えるか」。
納得です。この点については自分も常に意識していきたいですし、子供達にも伝えていくことができればと思いました。この話題についてどう考えるかを話し合うのもいいですね。
表題ミス。「九九」か「電卓」か、ではなく、教員の水準が高くなったことこそが、フィンランド教育改革の一大ポイントであることは、周知の事実。
同じように、①医学部と同じくらいなるのが難しくして、②結果責任にすれば、たちまち変われる。
だいぶ前から分かっていることだ。
九九は表層。結局、記事後半にあるように、教師という仕事をどれだけ魅力的で尊敬されるものにできるか、それで優秀な人財を集めて国家としての投資として効率が良いものにできるか。
個人的には、何かを学ぶということは先生に教わることと自分でやることの組み合わせだと思う。自分でできるというのは、PCなどが進化した今、昔とは違う。昔より色々なものがどこでも調べられるようになった結果、覚えている量より調べるという手段を活用できるかがキーではあると思う。でもこれもまた表層で、それの場数を重ねて抽象化したり、ほかのこととの関連性や適用できるかが考える能力だと思う。やり方は変わっても、天才ではない多くの人にとっては、場数の重要性は変わらないと思う。
考え方は完全同意なんだけど、九九ほどの利用頻度のある類のものは、電卓を取り出して計算して…みたいなのをやるよりも、覚える方が結果的に人生での時間効率は高い気がする。

この際、話は何をコアな学力として、何を末端のものとするのかその具体的な話しを進めてもいい時期じゃないかな。
九九がどうこうって話ではないと思うんですが、九九は多分不要ではないですし、多分こういう切り口じゃなければ賛同意見も多いんじゃないでしょうか。

例えば日本の美術教育は多くの場合実習形式ですが、実習をするのは本来専門教育課程に進む前提があればこそ受けるものであって、一般教養として美術教育に求められるのは、多くの場合美術史の教育です。日本で美術史は世界史や日本史の教科書にほんの数行取り上げられる程度に包含されてしまっています。

政治学や経済学の基礎となる「政治・経済」も、日本では世界史・日本史の末端でしか教育されていませんが、本来的には倫理学や論理学などの枠組みの歴史観、あるいは資本家が生まれた18世紀頃のイギリスやヨーロッパを端緒とする歴史観から学び始めるべきです。

教育とは誰もが等しい「事実」を押し付けるものではありません。目の前にある現実にどのような背景があるのかを検証させ、そこから自らの考えを紡ぎだせるような思考回路を構築することが教育です。

【追記】
数学を学ぶ時、その国の母語が持っている数体系に引きずられます。日本の場合、とても幸運なことに世界で一般化されたのと同じ十進数を古来から使用してきた為、九九などもそうした背景から生まれたものです。

日本語の数体系
http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/language/number/japanesej.html

フィンランド語の数体系
http://www.sf.airnet.ne.jp/ts/language/number/finnishj.html

比較すれば判りますが、フィンランド語、ヨーロッパ語族の多くも歴史的にはローマ帝国時代に培われた十二進数を元にした数体系と厳格な品格表現が枷になって数学学習の障害になっています。言語学的に九九のようなアイディアが生まれにくいとも言えます。
この記事は、記憶がクリエイティビティを創るということを、まったく考慮していない。九九があるから、創造性が生まれるのだ。
逆にまともに電卓が使える教育をして欲しかった。
電卓に意味不明なボタンが多すぎる。w
フィンランド2016年新小学生カリキュラムはこれ(文末にURL)。読んで下さい!!!
北欧にいると、PISA学力テストって旧世代の指標と感じます。21世紀を切り開く能力のエッセンスはそこではありません!PISAで高得点を目指す教育は旧世代教育と同じです。PISAを強化しても、SporifyもSupercellもAngrybirdもDendeskも生まれません!これらはすべて21世紀型教育(北欧が得意)から生まれてた北欧発ユニコーンです。

http://www.finland.or.jp/public/default.aspx?contentid=350772&nodeid=41206&culture=ja-JP
まあ、当然やね